“謎の存在”から脱却し、新しい「Tomy」へ
当初は顔出しをせず、イメージイラストのみが存在しており、映像に出演する際にはお面を着用するなど、いわば「謎の存在」であった。だが、最近では顔を出すようになり、活動のスタイルも変化してきている。
「顔を出さなかったのは、もともとパートナーの要望からでした。医者の世界は狭いから、どこでどう言われるかわからないと。バレたら自分たちが付き合い続けることが難しくなるかも、とも言われていたのです。彼が亡くなってからもしばらくそれを守ってはいたのですが、顔も声も出せないというと、やっぱりやれることが限られてしまうんですよね」
自身のクリニックも10年という節目を迎え、作家としても軌道に乗り、次の道を見据える段階に入ってきたことも転機になったという。
「僕の場合は、この“Tomy”という活動がオネエキャラと一緒になっているので、Tomyとして顔を出すとそれは自動的にカミングアウトになってしまう。患者さんにも迷惑をかけるかもしれない。そういった葛藤はありました。でもフルオープンにすることによって、講演やメディア出演など、やれることの幅が一気に広がってきたんです」
余談であるが、実際のTomy先生と、そのイメージのギャップに驚く意見は多い。高木先生も、編集の斎藤さんも、第一印象は「(イメージに反して)大きい」だと話していた(筆者もそう思った)。
「やっぱりあのイラストだと小柄で髪の毛もフワフワなイメージですよね。あのイラストは、いわゆる『ゲイ』のイメージだけで描かれたものなのです。『精神科医Tomy』のキャラ設定には合っているので気に入ってはいますが、実際の僕はいかつくて短髪(笑)。オネエ口調でしゃべることもほとんどないので、そのギャップにだいたい驚かれます」
少しずつオープンに変化していくTomy先生。活動初期から一人称で使っていた「アテクシ」も、近作では「私」を使うようになり、現在はより自然に「Tomy」として呼吸をしている印象だ。そんな変わりゆく彼に、医師仲間にして友人の高木先生もエールを送る。
「これまでプライベートなことはほとんど発信されてこなかった印象があり、吐き出すところがちゃんとあるのか、常々心配をしていました。今後、もっとTomy先生のマイナスの感情だったり、普段、表には出さないような顔を見せてもらえるようになったら、友人として安心しますし、うれしくなりますね」(高木先生)
今後の活動の展望はどのようなものになるだろうか。
「今は、本を世に出すのがいちばん楽しいです。人の役に立てるような本をもっともっと生み出したいという気持ちもあります。電子書籍もありますが、やはり『本』という形で、みなさんに手に取っていただきたいですね」
作品に対する周囲の期待値も高い。担当編集の斎藤さんは、「これまでの言葉シリーズを続けるとともに、小説的な本も構想しています。Tomy先生なら絶対面白い作品が作れると思います」と言う。
医師として、作家として。言葉の力で、さまざまな人を救ってきたTomy先生。自分自身もそれまで持っていたものを少しずつ“手放す”ことで、新しいステージへと導かれてきたのではないだろうか。
「今回お話ししたように、パートナーを失って、自分もうつ状態になって……という話は今までしづらかったんですが、その体験を自分の作品に生かしていきたいと考えるようになりました。本当につらい時期ももちろんありましたが、彼と母と3人で親子のように過ごせていた素晴らしい時間もあって。それをちゃんと残しておくのが、彼への弔いにもなるんじゃないかと思うんです」
きっとその作品は、多くの人を、そしてTomy先生自身も救うものになるはず。その“言葉”が紡がれる日が来るのを心待ちにしている。
<取材・文/高松孟晋>