忘れえぬチャールズ皇太子、ケネディ大統領、そしてダリ
さて、渡航制限があった時代に始まり、礼宮様と川嶋紀子さん(ともに当時)のご成婚がなった年まで、合計31年間放送という超長寿番組『世界の旅』では、現在だったらおそらく取材不可能なセレブたちもたびたび登場、番組に花を添えている。
「チャールズ皇太子は偉ぶらなくてなかなかの方でしたね。
叔父のマウントバッテン卿がいろいろな国から高校生くらいの年代を集めて、お互いを知り合い平和をつくろうという国際学校をつくっているんです。わたくしがその学校に行ったら、ちょうど皇太子の車がお着きになって。自分でドアをさっと開けて、“校長のお加減はいかがですか?”と。校長はその日、風邪ぎみだったんです。感心しました。
当日は、みぞれが降るような日だったんですが、それでも船で海に出ていきました。王族は強くなければいけないのでしょう。強く、男らしい方でした」
先日帰国したキャロライン・ケネディ大使の父親、ジョン・F・ケネディ大統領にもお会いした。
「ケネディはいい男でしたね。男らしくて朗らかで、贅沢でなさそうで。キューバ危機(1962年10~11月に起こった全面核戦争直前に達した危機的状況のこと)直前で大変な時代だったんですが、おくびにもださない朗らかな顔で出てらっしゃいましたよ」
スペインの画家、サルバドール・ダリは、噂どおりの奇人ぶりで兼高さんを歓迎した。
「ワインをついでくれたから飲むのかなと思ったら、わたくしのグラスに指を突っ込んで、それを舐められていました(笑)」
1586回の出会いを重ねた『世界の旅』も、平成2年(1990年)、惜しまれつつ終わりを告げることになる。
「その前の年に、ちょっとショックなことが続きましてね。『世界の旅』を後押ししてくださった作家やスポンサーの方たちが亡くなったんです。それでもうやめよう、と」
とはいえ、兼高さんの多忙な毎日は一向に変わらない。
番組放送中の昭和60年(1985年)、兵庫県淡路市の淡路ワールドパークONOKORO内にある『兼高かおる旅の資料館』に、番組の放送中に収集した世界各地の民芸品や資料を寄贈した。以来、事あるごとに訪れている。
同館の清水浩嗣支配人(61)も、兼高さんのユーモアのセンスを称賛する1人だ。
「先生が収集した民芸品が面白いんです。アメリカのオハイオ州には“牛のフン投げ大会”があって、それの表彰盾があるんですが、金で塗装したフンが貼りつけてあるんですわ(笑)。
全体をパッと見ると単なる民芸品という感じですけど、ひとつずつ見ていくと、ウイットがあって面白いんです」
寄贈したもの以外にも、資料はまだ山のように手元に残り、その整理には今現在も追われている。
情報には極力正確を期したいと、ナレーションで語る山の標高すらも改めて調べ直すという徹底ぶりだ。
「有名な地理の先生がいう言葉と、小説を書いている人とで高さが違う。どっちを使うべきかを調べるのに、1日じゃきかないときもあります」
そして、こう続ける。
「仕事(世界の旅)もそうですが、好きだからできたんです。命令されていたら、きっとできなかったでしょうね」