窪塚洋介も魅せられた「小さな惑星」
「俺はサーファーで、波に興味があってアートが好きなだけ。別にハトに興味があったわけじゃない。だけど、この島には原資がない。圧倒的な自然しかない。人が来るにも時間がかかる。そういう負の要素をすべて逆転させる必要があったんだよ。俺には学歴も資格もないけど、必要性を説いて説得するにはそれだけの知識がなきゃいけない。生物学、地質学、幅広い科学の知識を独学で学んできた」
宮川さんは、世界自然遺産にすることで、自然保護と経済の活性化をワンパッケージにできると思っていた。イルカの島と認知されたことで人が来て、類いまれなる自然に触れ、ここでしかできない体験をすればそこから認知されていく。やがて、人々は小笠原諸島に注目し、憧れの場所となっていった。
今年、アメリカから返還されて50周年を迎えた。
「ここまで30年以上かかったよ。なんだかわからない宿命を背負っちゃって、やらされているような強迫観念があった。でも、それが今なくなった。ああ、大切なものを守ることができたって、そういう気持ち。今初めて人としてスタート地点に立っている感覚なんだ。やり遂げるまでにたくさん学んだし、インテリジェンスも身につけた。今はただ生きていることに満足してる。これから初めて俺にとっての本物の運命がやってくるんじゃないかと楽しみだよ」
今年、宮川さんを中心に据えたドキュメンタリー映画『プラネティスト』(2019年5月、順次ロードショー)が完成した。監督の豊田利晃さんは、前出の森永さんの書いた小説を読み、小笠原と宮川さんに惹かれていた。
2014年から4年かけて原始の地球の姿を撮影した『プラネティスト』。人はこの島に来て何を感じるのか。小笠原の自然に触れたアーティストたちが、新たな気づきを得て、魂の本来の力を取り戻していく。その克明な記録がフィルムに焼きつけられた。俳優でアーティストである窪塚洋介さんもそのひとりだ。小笠原を訪れた感想をこう述べている。
「あの地を訪れたことのある者としての“誇り”のようなものが心のどこかにあるような気がしてます。言葉を超えた『青』や『透明』との出会い、息づく生態系、風の声、そのすべてが何か別の惑星のようにも思える。当時、小学生の息子も行きましたが、この時期にあの途方もない自然とその力に触れることができて親としてとてもよかったと思います。彼のDNAに刻まれたその記憶はきっと一生の宝物や支えになるんじゃないでしょうか。ひとりでも多くの人に、あの島の魅力が伝わることを願っています。これからの時代に必要な自然や叡智や歴史、閃(ひらめ)きの宝箱だと思います」
世界自然遺産に登録され、ドキュメンタリー映画が完成しても、宮川さんの物語は終わらない。祖父から父へ、宮川さんへと受け継がれた魂は、娘や孫たち、そして、宮川さんの魂に共鳴する次の世代に引き継がれ、脈々とつながっていく。
6年前に父島に移住したスフォルツァ・ルディさん(37)はイタリアにルーツを持ち、日本、スイスなどさまざまな土地で暮らしてきた。
「最近まで自分の故郷はないなと思っていたけど、今は父島に家族ができて、ここが帰ってくる場所と思えるようになりました」
現在、翻訳業を営みながら小笠原諸島のフリーペーパー『ORB』を発行している。
「ノリさんは僕にとって人生の案内人です。父島のためにできることを何か始めたい、すでにフィーチャーされている自然だけでなく、文化的な側面を打ち出していきたいと思っていました。雑誌に助言をくれ、背中を押してくださったのがノリさんです」
宮川さんは、インタビューの最後をこう締めくくった。
「俺はこれまで、アート作品を作ってきたんじゃないかと思う。ヒッピーだからね、コラージュが得意なんだよ。宇宙の成り立ちや禅の教えを自然保護に応用してきた。世界自然遺産になったことだって、アートだよね。アートには哲学がある。この世でいちばん美しいアートは自然だよね」