“明け渡し交渉のあやちゃん”の誕生

 そんなある日。「今、家賃滞納のトラブルで忙しいから」、いつものように門前払いされかけた太田垣さんは、ピンときて、とっさに口走った。

「それ、私が解決できます!」

 折しも、平成14年の法改正で、認定を受けた司法書士は簡易裁判所で裁判の代理業務ができるようになっていた。

「そのころ、司法書士の多くは、過払い金の債務整理の仕事に流れていて、賃貸滞納トラブルは、まさに穴場。これを機に、次々と仕事をいただけるようになりました」

 最初の依頼主であり、太田垣さんに15年以上も仕事を任せている、アーバンライフ住宅販売株式会社代表取締役・高津謙吉さん(65)が話す。

「不動産登記をする司法書士は、ごまんといますが、太田垣先生のように、賃貸トラブルや立ち退き交渉を引き受けてくれる司法書士はほとんどいません。仕事ぶりは丁寧、かつ早い。弁護士に頼むより、時間も費用も格段に削減できます。

 それにね、彼女は滞納者にも実に親身なんです。いつだったか、社内でカラオケに行ったとき、お子さんを連れて来ていたけど、離婚して、苦労したんでしょうね。人の気持ちを酌み取れる。そういう人間性も含めて、安心して仕事を任せています

 ほどなく、売り上げは年間1千万円を突破。「明け渡し交渉のあやちゃん」と呼ばれるほど、その名は業界で知られるようになった。

 そんな太田垣さんが、独立を決めたのは、入社から4年半が過ぎたころ。

「本当は、ずっと勤めていたかったけど、代表から、“おまえは独立してやっていけるタイプの人間だ。今の勢いに乗れ!”と背中を押され、覚悟を決めました」

 こうして、一国一城の主になったのは2006年。節目の40歳を迎えたときだった。

 独立を決めたとき、自分と約束したことがあるという。

「息子に、“おかえり”を言える場所で開業することです。中学生になった息子は、思春期で口数も少なくなっていたので、一緒にいる時間を増やそうと」

 最初は自宅の一室を仕事場にし、半年後に事務所を構えた際も、自宅から徒歩3分の場所を選んだ。

 ところが、母の思いとは裏腹に、突然、息子から切り出されたのは、親離れ宣言ともとれる、決意表明だった。

長野の山奥に、山村留学したいと言い出したんです。わずか13歳で、親元を離れるなんて、考えたこともなかったので、驚きました。でも、息子は本気でした。地元の中学になじめなかったこともあるけど、ボーイスカウトで山に登ったり、自然の中にいるのが大好きだったんですね。どうしても行かせてほしいと」

 考えた末、承諾したのは、息子の意志が固かったこともあるが、現地を見学して、太田垣さん自身が大自然に魅了されたからだという。

「でもね、納得したつもりだったのに、送り届けた帰りは大泣き。寂しくて─」

 それからは、ぽっかり空いた心の穴を埋めるように、今まで以上に仕事に打ち込んだ。