退陣要求を突きつけた遺族会
近隣住民には“地域の人とかかわるのは嫌だ”という佐藤容疑者の本音が伝わっているが、宮司としては人を巻き込む行事を次々に具体化するやり手だったようだ。そのことが遺族会を逆なでしたことが過去、複数回あったという。
「2010年の桜まつりのときには、鳥居の付近にミラーボールを設置して、若者がノリノリで踊り、神社がクラブ化していました」
と参拝客。ベリーダンスのショーやバンドのライブなどを開催していた年もあり、いつも盛況だったという。
「初詣のときに、宮司が若い女性2人と親しげに写真を撮っていたのも見ました」
と前出・参拝者。若者から慕われていた一面も明かす。
宮司の知人男性は、
「柔軟すぎる人でした。遺品の展示館を作り、イベントの内容を変え、桜の木を植え替える。いろいろやっていた」
と実行力を評価し、
「“神社は氏子がいなくなったら誰が守ってくれるんだ”と人を集めようとしていた」
と危機感も代弁した。
一方、護国神社元総代は、
「遺族の高齢化も進み、運営面で苦労していました。宮司は“金集めに熱心だった”、なかには“熱心すぎるくらい熱心だった”と、よく思っていない人もいました」
と周囲の悪評を伝える。
'15年4月、宮司と遺族会が決定的に対立する事件が起きた。本殿前の石畳で半裸の男女が全身を金色に塗り、演舞したことが物議を醸したのだ。怒り心頭の県遺族連合会は、宮司に退陣要求を突きつけた。
「宮司と遺族会の関係は良好ではありませんでした」(前出・神社担当者)
と今も尾を引いている。