坂本九さんとデートの日々
その1週間後、連絡をとりあい、それからデートの日々が始まった。仕事が終わった後は夜中に2~3時間電話で話し、2人の恋は燃え上がっていく。交際から1年後、坂本さんは29歳、柏木さんは23歳で結婚した。
やがて2女にも恵まれ、坂本さんの仕事も順調で、絵に描いたような幸せな家族生活が続く。
「主人は褒め上手で、お洋服でも髪型でもよいところをメモに残してくれるんです。『今日の洋服はとても似合っているよ』とか『髪型がすごく素敵だったよ』とか。毎日があまりに幸せすぎて、怖いと思ったこともありました」
テレビ番組『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)では、夫婦で解答者を務めた。
「夫の衣装をコーディネートするのも私の役目でした。この仕事のときは、夫婦水入らずで過ごせるのがとても楽しみだったんです」
日航ジャンボ機墜落事故で天国から地獄へ
1985年8月12日。長女は11歳、次女は8歳になり、柏木さんは娘たちと買い物を楽しんでいた。
坂本さんはNHKでの仕事を終え、自宅に一度戻ってから羽田空港へ向かっている。この日は大阪の市議選に立候補した元ボディガードの応援で、大阪へ行くことになっていたのだ。
夕方、柏木さんは自宅に戻って、子どもたちと一緒にお風呂に入っていた。先に上がった長女の花子さんがテレビを見て、「ママーッ!」と叫んで戻ってきてから事態は一変する。
テレビでは「午後6時57分に日本航空123便がレーダーから消えた」と一斉に報じ、すべての番組がニュースに切り替わっていた。
「娘が『パパは何時の飛行機に乗っていたの?』と聞くので『6時半よ』と答えました。レーダーから消えたのは午後6時発の日本航空機でした。主人はいつも全日空機を使っていたし、6時半発だと言っていたので、日本航空機には乗っていないはずだと自分に言い聞かせていたのです」
しかし、大阪から日本航空のチケットが送られてきていたことを思い出し、不安はどんどんふくらんでいく。ニュースではどういう状況なのかまだ何もわからず、宿泊予定のホテルに電話を入れたが、夫は到着していなかった。
不安で震えている中、テレビのニュースでは搭乗者の名前が読み上げられ、その中には「オオシマ・ヒサシ」(坂本さんの本名)の名前があった。
坂本さんが搭乗していたことは確実となったが、「無事でいてほしい」という気持ちがあるだけだ。翌8月13日の夜中に、レーダーが消えた群馬県に向かう。墜落したとみられる現場は御巣鷹山の山中で、柏木さんらはふもとの旅館に滞在して、坂本さんが戻ってくるのを待った。
「そのときは新聞もテレビも見ませんでした。主人が生きていてくれることをただただ念じるだけでした」
8月16日になって、坂本さんのバッグが見つかり、警察からは「確認してほしい遺体がある」と連絡が入る。
「主人が信仰していた笠間稲荷のペンダントが胸に突き刺さっていて、それが決め手になって遺体が坂本であることがわかりました」
あの日からまもなく38年がたつ。
「暑い季節になると、今年もあの日がやってくることを思います。私だけでなく、震災や自然災害、交通事故などで、突然、愛する人を失ってしまう人は大勢います。そういったニュースを見るたびにご家族の悲しみを思うと胸が苦しくなります。事故からしばらくは『笑顔になれる日なんて来るわけがない』と絶望的な気持ちでした。でも時を経て、笑える日が必ず来ることを信じて生きていってほしいと思います」