ところが手術の前日に、健康保険で唯一認可されていたインプラント製品にまれな合併症として悪性腫瘍を生じる症例が海外で報告され、急きょ使えなくなってしまった。
周囲が勝手に仕事を取り上げるのは“配慮という名の排除”
「診察室で泣く私を見て、主治医は乳房温存のシミュレーションを始めましたが、夫ができるだけ長く生きる選択をしてほしいと言ったことで私は全摘を決意。再建を諦める代わりに、乳頭温存をお願いしました」
術後の病理検査の結果、ホルモン治療がよく効くタイプの乳がんであることがわかり、抗がん剤ではなく、ホルモン剤での治療が決まった。
「卵巣機能を止める注射が2〜5年、ホルモンの投薬は10年が推奨されていて現在も投薬を続けています。ホットフラッシュや物忘れなどの副作用は続いていますが、仕事ができないほどではないので、その点は助かっています」
そんな阿久津さんが最初に悩んだのが、乳がんのことを誰にどう伝えるか。真っ先に伝えたのは夫だった。
「LINEで送ると『やるべきことやるしかないね』って返ってきて。夫とは入籍していないのですが、がんになっても捨てられないんだとホッとしたことを覚えています。それから連絡したのが、乳がんの取材で知り合った年上の女性。
ステージ4だった彼女は『私もいまあなたと一緒にご飯を食べて笑ってる。生きている限り、やりたいことはできる。人間、そう簡単には死なない』と言ってくれて。ネガティブでいるより、楽しいことを考えていたほうがプラスだと早い段階で気持ちを切り替えられたので本当に感謝しています」
しかし、乳がん経験者である母親には自分と一緒に悩ませたくないという気持ちから、なかなか言い出せなかった。
「話せたのは手術後、少したって実家に帰ってから。『乳がん? あら、いやだ。やっぱり塊があったの?』と拍子抜けするほどあっさり受け止めてくれて。普通に接してくれてありがたかったです。ただ、帰り際にバスの中からバス停で見送ってくれている母を見ると、うっすら涙を浮かべて手を振っていて……。私に心配かけまいと気丈に振る舞ってくれていたんだとわかり、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」
友人や職場には、伝えたい人から徐々に打ち明けた。
「乳がんになったことで職場での立場や仕事を失う不安があったんです。退院後も変わらずに働きたかったので上司から『きみはどうしたい?』と聞いてもらえたのはとても助かりました。大変だからと周囲が勝手に仕事を取り上げるのは“配慮という名の排除”だと私は思います」
また、こんなこともあったという。
「私の知る乳がん患者さんは、母親から『詮索されるから近所の人に絶対に言わないでね』と言われたそうです。自分の病気のことを隠さなくてはいけないんだと思ったら、心も後ろ向きになってしまう。周囲の人は、まずは本人の気持ちを聞いて尊重してあげることが大切だと思いました」
阿久津さん自身も、術後に大好きな温泉に行った際、特別視された経験がある。
「子どもに『なんで膨らみがないの?』と言われたり、大人から『なんで傷ついた胸で温泉に入るの?』という視線を感じたり。日本は普通や当たり前がいいという文化があるけれど、普通ってなんだろうって思います……」