労働環境を改善し看護師を生涯の仕事に
「当時の日赤は全寮制。看護師は男子禁制の独身寮に学生時代も卒業後もそこに住むので自由もない。しかも結婚したら退職するしかなかった」
この状況に疑問を感じた川嶋さんは、働き始めて5年目、同じ考えの仲間と共に寮を出てひとり暮らしを始めることで、病院に対し、看護師の労働環境の改善を求めた。
寮の外に出て初めて、自分の賃金がいかに安く、労働状況が厳しいかを知る。
「私は社会貢献ができる看護師という専門職を一生涯の仕事にしたいと考えていました。だから看護師は結婚や出産をしたら辞めなくてはいけないなんておかしいと思って。
でも、当てつけのように小児病棟の担当から外されてしまいました。それは悔しかったですけどね(笑)」
その後、結婚し、2人の子どもに恵まれる。当時は専業主婦が一般的で、仕事と育児の両立という壁にも直面したが、ここでも職場環境を改善して乗り切った。
「仲間たちと病院内に保育所を作ったんです。私は仕事が楽しくて辞めたいと思ったことはないけれど、わが子が病気でも家でひとりで過ごさせなくてはいけなかったときは本当に苦しい思いをしました。保育所ができてからはそんな心配もなくなりました」
女性が働くことに肯定的だった夫のサポートも大きく、家事は分担。「食べることだけは粗末にしたくない」という川嶋さんが健康第一を考え、家族の食事だけはこだわって作り続けた。
さらに「好奇心の塊」である川嶋さんの学びたい欲求もあり、働く看護師の学びの場を作る試みもスタートする。
「当時は看護大学が少なく、みんなが勉強したくても、なかなかその場がなくて。それで月に1度、3時間ほどみんなで集まり、大学院レベルの勉強をする看護師グループができあがりました」
やがて大学や専門学校の非常勤講師の声がかかるようになり、教育者として看護に関わるようになる。
「若いころからバイタリティーはあったと思いますが、私の考えを家族が当然のように受け入れてくれたのはありがたかったです」