当初は月に1回程度だった血便の頻度は少しずつ増し、3日に1度になった。さらに、職場で“いつの間にハワイにでも行ったの?”と聞かれるほど、肌が黒ずんでいったが、腹部の痛みなどは感じなかったという。しかし、2007年4月、激しい下血が起きる。
夫は「明日、病院に行かなければ離婚する」
「取材先の福島県でトイレに入ったとき、鮮血で便器が真っ赤になったんです。てっきり生理が来たのだと思ったのですが、すごく鮮やかな赤色で……。貧血で立ちくらみがしましたが、生理用品をあてて、なんとか仕事を終えて深夜に自宅に戻りました」
原元さんは夫に下血のことを話したという。
「時間ができたら病院を受診しようと思っていたのですが、夫に『明日、病院に行かなければ離婚する』と言われてしまったんです。心の中で“大げさなんだから”と思ってしまうほど、自分では危機意識がなくて。職場の人たちに謝り倒して、次の日の本番の後、病院へ行きました」
原元さんは触診の際、下腹部左側のS字結腸を押されたときに痛みを感じて顔をゆがめた。その瞬間、医師の表情が変わったという。
「数日後に受けた内視鏡検査で、S字結腸の直腸に近い部分に1.8cmのポリープが見つかりました。その一部を採取して病理検査を受けたところ、良性と言われました。ただ、ポリープの切除が必要だと言われ、内視鏡による手術を受けることに」
5月に入院して手術を受け、4泊5日で退院した。予想外の結果を告げられたのは10日ほどたったころのことだった。
「夫と一緒に手術で取ったポリープの病理診断結果を聞きに行ったんです。先生は『再検査の結果、腫瘍は悪性でした』とおっしゃったのですが、当時の私はがんに関する知識が乏しく、ピンときませんでした。夫が『悪性ということはがんですか?』と尋ねたときも『そんなわけないじゃない』と思ったくらいです。先生が『原元さんは早期の大腸がんです』と言い直してくださり、ようやく自分が大腸がんであることを理解しました」
内視鏡手術で早期がんを取り除いたため、その後の治療は必要ないと判断された。
「つまり、私は大腸がんになって、そうと知らない間に治療が終わっていたんです」
“自分の中にがん細胞があった”。その事実に驚きつつ原元さんは大腸がんに関する情報を集めるようになった。
「大腸がんの5年生存率は95%と知り、安心した自分がいました。ただ、『もし、95%ではない5%のほうだったら』と、突然恐怖に襲われて。歩いている途中でしゃがみ込んでしまったことも」
また、病院から大腸がんの危険性の指導を受けた際“赤身のお肉はなるべく避ける”といった項目があった。
「一時、極端に避けていたのですが、お付き合いでステーキ店に行くことに。周りに言っていなかったので、無理して食べたら“がんが再発しちゃう!”って、急激に気持ちが悪くなってしまったほど。先生にお話したら“少し食べたぐらいでがんにはなりませんよ”って(笑)。そのころは何でも怖がっていました」
がんの再発予防のため、赤身肉はほどほどに、日頃から野菜や乳製品を意識的にとるようになった。また、ストレスの緩和も気遣うように。
「大腸がんを患ってから、さまざまながん患者さんと接する機会が増えました。自分自身の経験も含めて思うのは、ストレスはがんの大敵で、世の中のストレスの大半は人間関係だということ。ストレスを和らげ、その方法を伝えられるようになりたいと、心理学を学びました。今は“コミュニケーションスキルがあなたを救う”をモットーに、ストレスで病気になる人を1人でも減らせるような活動にも取り組んでいます」