脳出血が起きると、出血が固まってできた血腫が脳を圧迫し、ダメージが広がる。重い後遺症が残り、一生車椅子生活という人も珍しくない。
「でも医師の話を聞いても、私はもう一度ダンスのステージに上がるんだという強い気持ちは消えませんでした。脳卒中は脳からの指令が届かないだけということを知ったので、絶望的にならずにすんだのです」
また、多くを語らず側で見守ってくれているご主人の「俺は知子の命を救うために生まれてきたのかもしれない」という言葉も松永さんを前向きにさせたという。
「あのときに彼がいなければ私は一人で命を落としていたかもしれませんし、もし命が助かっても対応が遅れたことでさらに重度の麻痺が残っていたかもしれません。離婚届を出そうとした日がその日だった意味を感じずにはいられません……。私が彼の人生の邪魔になるわけにはいかない、そんなことも思いながらリハビリをしていました」
担当医は「医学的な常識ではあり得ないこと」
実際にリハビリが始まると、それまでひたすら繰り返していた、歩く動きにつながるイメージトレーニングが功を奏し、松永さんはなんと2週間足らずで歩き始め、「医学的な常識ではあり得ないこと」と担当医を驚かせたという。
「今振り返ると、リハビリが始まる前からベッドで少しずつでも左半身を動かしていたことがよかったんじゃないでしょうか」
点滴が外され、病棟内の一人歩きが許されると、松永さんは1日2時間を2セット、病棟内を歩き回った。
「寝ている時間以外は何をしてもリハビリにつながるという気持ちで、途中からは楽しみながらやっていましたね」
だが、順調に回復するばかりではなかった。再発防止のため、発症から半月たったころ、脳動静脈奇形除去の開頭手術を受けた松永さんは、その影響で麻痺の状態が少し元に戻り、その後は何をしても思わしい効果が出ない時期がしばらく続いたという。
「それでも、進行性の病気と違って、脳卒中の後遺症はリハビリで回復する可能性がある、何より私には命がある。そう考えて前向きな気持ちを持ち続けたんです」
その後、病院を転院し、リハビリを精力的にこなしていた松永さん、運動麻痺はリハビリをするたびに回復している実感が持てたが、感覚麻痺についてはなかなかその実感が持てなかったという。
「温かい、冷たい、痛いといったわかりやすい感覚は比較的早く回復しましたが、位置感覚や距離の感覚がつかみづらく、気づいたらどこかにぶつかっていたり、指先の感覚が鈍いため、握っていたものを落としても、そのことに気づかなかったり……。こうした不具合は、今でも残っています」
そして、最初の入院から4か月半後、ついに松永さんは退院し、元の夫や友人たちのサポートを受けながら一人暮らしを始め、間もなく職場にも復帰した。
「勤務先には、『いつ回復できるかわからないから代わりの人を入れてください』と伝えていましたが、『絶対に戻ってくると信じているから、席を空けて待っているよ』と言っていただき、それも闘病の力になりました」
感覚麻痺の中でも、松永さんは特に目で見えないものの位置感覚が把握できないため、パソコンのブラインドタッチはできなくなったが、幸い言語や記憶力などに障害はなく、仕事への支障は少なかった。