祖父の借金返済のため、12歳で奉公

東京の理容室を転々とし、修業した当時のシツイさん(左)
東京の理容室を転々とし、修業した当時のシツイさん(左)
【写真】背筋をしっかり伸ばし、髪をカットする108歳のシツイさん

「私が生まれた実家というのはね、昔は広い田畑を持つ豪農だったんですよ。あの時代、乳母がいるぐらいだったからね。でも祖父が道楽して散財したものだから、借金を抱えることになったんです」

 1916(大正5)年生まれのシツイさんは、家を助けるために、12歳で村長宅に奉公に出された。

「本当は和裁を習いたかったんです。和裁で身を立てようと思ってたから。ところが来る日も来る日も掃除や洗濯などの家事ばかりでね」

 2年の奉公に耐え、自宅に戻ったときに転機が訪れる。同級生の母親から「東京で理容室をやっている長女の昭子が弟子を欲しがっている」と声をかけられたのだ。

「髪形に興味があるわけではなかった。でも父親に相談したら、手に職があったほうがいいと言うわけ。父ちゃんの言うことなら間違いないと思って上京したんです」

 今の墨田区向島のあたりに「昭子理容院」があった。住み込みだったが、当時まだ14歳、すぐに故郷が恋しくなった。

「よく泣いてましたね、実家の方角を見ては。でも昭子先生は優しくてね、抱きしめて寝てくれました。『先生と呼ばないで、姉ちゃんと呼んで』と」

 先輩の弟子は2人いて、早く追いつこうと必死だった。

「昭子先生は仕事が終わると、弟子たちを街に連れて行ってくれた。私も行きたかったけど、3回に1回の割合で『疲れているから』と断って、みんなが出かけてから、練習しました」

 シツイさんは人知れず、人一倍の努力を続けた。次第に任される仕事も増え、4年修業した後、江東区の店に移る。理容師の免許を取ると、客から指名されることも増えた。その後も、自分が仕事をしてみたい店を探し出しては移り、貪欲に技術を磨いていく。

 上京から約7年後には若手の仕事をチェックする役割を任されるようになっていた。

銀座で流行! 斬新なヘアスタイル

背筋をしっかり伸ばし、年齢を感じさせない集中力で髪をカットしていく(撮影/北村史成)
背筋をしっかり伸ばし、年齢を感じさせない集中力で髪をカットしていく(撮影/北村史成)

 シツイさん考案のヘアスタイルが流行したこともある。

 1930年代半ば、銀座にあった4軒目の店にいたころ、当時外国から日本に紹介されて話題になったリーゼントにアレンジを加えた。

「前はポマードで固めて、後ろは鳥のしっぽのような形にしたんです。これが人気でね。女性客のときは、後ろを刈り上げて、サイドと前はおかっぱみたいなラインにしたら、カッコいいと話題になって。この髪形にしたいという客がたくさん訪ねてきたの。人気を知った周囲の店も同じことをやり始めました」

 抜群のセンスと丁寧な仕事ぶりが評判を呼び、縁談が舞い込んだのは22歳のときである。いつも指名してくれる女性客から自宅にも出張を頼まれるようになり、理容師の甥・箱石二郎さんを紹介された。10分ほどの会話だったが、二郎さんはシツイさんを気に入る。

「当時の私は結婚より独立して自分の店を持ちたいと思っていたんです。でも両親に報告するとその気になってしまって。ほとんど周囲に押し切られる形で結婚しましたね」