「ゲイであること」への否定と受容
親の意向もあり、中学から医療系の大学進学率の高い男子校に入学したTomy先生。思春期の多感な時期に、だんだんと芽生えてきた思いがあった。
「周りの同級生みたいに女の人が気になるようになると思っていたのですが、全然そんな気持ちにならないんですよね」
いつしかクラスメートや先生を意識している自分がいることに気づいたという。
「学校の伝統行事で、『水練会』というものがありまして。クラスごとに色の違うふんどしをつけて、太鼓に合わせて遠泳をする行事なのですが、その練習をする際に、周りの男の子たちを意識して、なんとなく“ぽやぽや”している自分に気づきました。でも男の子が好きだとはまだ思っていませんでした」
そのころは今でいう「おネエタレント」のはしりがたくさんテレビに出ているような時代だった。
「当時、テレビに出てくるゲイの人は、ゲイバーとか夜の街で働いている人が多かったんです。一緒にテレビを見ていたお姉ちゃんが『こういう人たちはこういうところでしか仕事がないから』と言ったのを強烈に覚えていて。今どきなかなか聞けないヘイト発言ですよね。そういうこともあって、『いけないこと』だと思い込んでいました」
高校時代に淡い恋を経験するも、友情の延長だと思い込み、自分の気持ちを認めることはなかった。本格的に自身のセクシュアリティがゲイであると自覚したのは大学時代。進学先の名古屋で1人暮らしを始めてからだった。
「男の1人暮らしでインターネットがあって、そこで初めてついついゲイ向けのサイトを見ちゃったんです(笑)。見た瞬間に『自分はこれだ』と確信しました。今まで自分がいかに無理をしていたのか、そのときやっとわかったんです」
その後、同じゲイの友達が欲しいと、当時流行していたネット掲示板を利用したり、ゲイバーやクラブイベントに顔を出してみたりしたが、自分に合うコミュニティーを見つけることがなかなかできなかったという。
初恋人は、年齢詐称の“パチンカス”

バーやクラブといった、いわゆる“ゲイコミュニティー”の楽しみ方がわからなかったTomy先生がハマったというのが「チャットルーム」だった。当時はテーマごとに集まって文字でコミュニケーションを取るチャットルームを大手プロバイダーが提供しており、そこで話すうちに1人のゲイ男性と仲良くなっていった。
「たまたま同じ名古屋に住んでいて、通っていたスポーツジムも同じだったんです。そのころ僕は24歳で、彼は27歳って言っていました。待ち合わせとかじゃなくて、彼は『そのまま会うのは面白くないから、プロフィールだけでお互いを見つけたら会おう』と言ってきたんです」
同じジムにまで通っていた2人だが「さっきまでいたよ」「今から行くよ」といったように、すれ違いを繰り返していたという。
「3か月くらいたって諦めかけていたころに、ちょうどジムに行くタイミングが合ったんです。それでも、聞いていたプロフィールのような人はいなかった。それを彼に言ったら、とうとう待ち合わせをすることになって……」
そこに現れたのは、シワが目立つ、お世辞にも若いとはいえない男性だった。
「明らかに27歳じゃなかったので、食事をした際に勇気を出して聞いてみたら、本当は39歳だと言ってきて。それすら疑わしかったんですが……」
そんな2人だが、なぜか付き合うことになった(!)という。
「4年付き合ったんですが、彼はパチンコ依存症でした。デートは毎回パチンコ店で、2〜3時間いるんですよ。今考えればすぐ別れるべきでしたが、初めての人だったし、それなりに楽しいと思っていたんです。ほどなく自分もパチンコをやるようになりました。学生でお金もなかったので、足りないときは彼が貸してくれて、それが帳簿につけられていて……」
聞く側にとっては「大事故物件」のひと言であるが、その後、実年齢は50歳以上で、聞いていた名前も本名と違うことを知り、そこでようやく(ようやくである)別れを考えるようになる。
「毎回パチンコ店だし、人間関係も彼の周りはかなりのおじさんばっかりで、閉塞感を感じていました。同世代の人と知り合いたい、遊びたいとずっと思っていました」
そんな初の恋人と付き合う4年間で、医師としてのキャリアもスタートしていた。ゲイの医師のボランティアサークルに顔を出した際、1人の研修医を紹介されることになる。
「たまたま学会で名古屋に来ていた彼と意気投合して、バーに行った後、うちに泊まることになったんです。そんなことは初めてだったし、付き合っている人もいたので、心の整理がつかない状態でした。結局、今までの彼に別れを告げ、ダメ元でその子に告白をしたらOKしてくれて。そこから新しい彼との生活が始まりました」
……余談であるが、先述のパチンコおじさんと別れたあと、借金として50万円を取り立てられたり、ストーカーまがいのことを繰り返されたが、それは「楽しい時代の軽い話」とTomy先生は断言している。そう、もっとすごい話が続くのだ。