2度目の、大きくて深すぎる「喪失」

パートナーのジョセフィーヌさんはTomy先生の母とも良好な関係を築いていた
パートナーのジョセフィーヌさんはTomy先生の母とも良好な関係を築いていた
【写真】パートナーのジョセフィーヌさんと旅行した際の写真

 出会ったころは研修医だった当時のパートナーのジョセフィーヌさんは、Tomy先生の父親が倒れたころから実家に来るようになり、母とも良好な関係を築いていた。精神科で働いていた彼は、いつしか開業を志すようになる。

「僕はすでに実家の法人を持っていたので、分院という形で一緒にやるのはどうかという提案をしました。彼はなんでも自分中心でやりたい人で、最初は渋っていましたが、結局2人で準備を進めることになりました」

 開業の準備は、土地探しから建物の設計、薬局や製薬会社などの膨大なビジネスパートナーの選定、採用活動など多岐にわたる。彼と一緒に仕事ができる日をわくわくしながら待っていたTomy先生だったが、だんだんと彼は体調を崩していく。見るからに顔色も悪く、言葉数も少なくなっていった。

「こんな彼の様子は初めてで、いったん入院させたほうがいいと考えるぐらいになりました」

 予定外の入院で、職員の採用まで終わっていた病院の開業は延期になっていた。彼の退院から3か月後を開業の日と改めて決め、Tomy先生は自身の休みを返上して彼のサポートをする心づもりだった。

「開院当日だというのに出席しなければならない学会があり、九州に来ていた僕に着信がたくさん入りました。彼が時間になっても現れず、連絡もつかないという、業者やスタッフからでした」

 体調を崩して電話に出られないに違いない。大したことではありませんように。そう祈りながら、家に様子を見にいった人からの連絡を待つ。祈りはむなしく、彼は家の中で亡くなっていた。悲しむ暇もなく、頭に浮かぶのは、開業するはずだった病院、そして実家のこと。

「今日明日は僕がここの患者さんを見るとして、これからどうやって2つの病院を回すかを必死で考えていました」

 さまざまな人の協力を得て、2つの病院を運営できるようにこぎつけ、翌年からは安定化する見通しが立った矢先、今度はTomy先生自身がうつ状態になってしまう。

「急に筋トレ中にダンベルを持てなくなってしまって。診察のときにも言葉が3つくらいしか出てこなくなったり、眠れなくなって、明らかに自分はおかしいと思いました」

 張り詰めていた糸が切れると、一気に崩れるのは不思議なことではない。仕事を減らし、復帰するまでにはおよそ1年の月日を要したという。

パートナーを偲ぶ集まりでのひとコマ
パートナーを偲ぶ集まりでのひとコマ