人生100年時代。いろいろなことを乗り越えてきた人たちはこの先、何を支軸に生きたらいいの?
タレントの荒木由美子さん(64)と、医師の高澤博和先生(44)に語り合っていただきました――。
「本当の健康や美しさは、数値では表せません」
荒木 先生は、京大の理学部から医学部に入り直してお医者様になられたんですね。相当な努力をなされたんですね。
高澤 いえいえ、ただの勉強好きなだけです(笑)。実は、子どものころから尊敬していた伯父が医師でした。最初に入った理学部は第一志望ではあったものの、人を救う仕事をしている伯父の姿を見て、やはり医学の勉強をしたいなと思ったんです。結局、両親に頼み込んで、医学部に入り直させてもらいました。
荒木 ご両親に「医師になりなさい」と言われたわけではなく、ご自身で選択されたことが本当に素晴らしいですね。私も『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に応募したのも、引退することも結婚することも、周りの皆さんの理解もあり、すべて自分の意思を尊重してもらいました。そして、程なく訪れた義母の介護も。まだ女の子が自分で自分の人生を決めるというのは珍しい時代だったかもしれません。
高澤 それは素晴らしいですね。敷かれたレールではなく、自分で道を切り開いて進むというのは、苦労を人のせいにはできないですからね。
荒木 努力と根性の日々ではありましたが、「自分で決めたのだから、投げ出さない」という決意も固かったのです。19歳のときにバレーボールを題材とした『燃えろアタック』(テレビ朝日系)というドラマで主演をしていたのですが、私が演じた主役の小鹿ジュンちゃんも、努力と根性の女の子でした。
私自身ととても似ているなあと思います。『燃えろアタック』はその後、中国でも放送されて人気を博して、今でも再放送されたりしているそうです。国境を超えて小鹿ジュン=私の努力と根性にシンパシーを感じてくださっている方が多いことを、とてもうれしく思っています。
高澤 中国・北京にうちのクリニックの分院があるので、荒木さんの中国での絶大な知名度は、私も存じ上げていますよ。また、私も外科医として臨床の現場に長らくいたので、諦めない大切さも見てきました。病気に対する思いやご自身の立場など、人の考え方はそれぞれ違います。最後まで希望を忘れない人もいれば、途中で心が折れてしまう人もいます。
ですが私は医師として、少しでも患者さんの苦痛を取り除くために諦めず、自分はどうベストを尽くして差し上げられるかを常に考えていました。その姿勢は、自由診療医療の医師となった今でも変わりません。