しかし社会人になって8年が過ぎたころ、別の思いも湧き上がってきた。
「仕事で出会う人には、いろんな人がいました。特に起業するような人はどこか人と違う考え方をしていた。ユニークで独特の感性を持っていることに気づいたのです」
どうしたら自分は人と違う生き方をできるのだろうか。
覚悟してお寺に戻る
「ユニークに生きるために何があるかなと思ったときに、ふと自分には生まれた境遇の中に“お寺、お坊さん”という選択肢があったことを思い出した。別に信仰に目覚めたとかじゃなくて、あくまで生き方の興味として、人とは違う生き方としてその道もありだと思えてきたのです」
また、仕事に限界が見えてきたこともあった。ビジネスモデルを考えだして、それを事業にするためにお金を集めてと、だんだんパターン化してくるのを感じていた。
'08年、松島さんは満を持してアイスタイルを退職する。
小川さんが送別会の日をこう振り返る。
「オフィスで松島さんの断髪式をしたんです。たくさんのメンバーが入れ替わり立ち替わりバリカンを入れました。丸刈りになった松島さんの表情は、いつもの松島さんのままのようでもあり、覚悟を決めた別の一面をのぞかせたようにも感じました。“これで後戻りできないなぁ”と呟いたのが印象的でした」
33歳で関西に戻り、京都の知恩院で2年半、修行。38歳のときに安養寺の住職として戻ってきた。
「待ってたで。よう帰って来たなぁ」
松島さんを待っていたのは、檀家のおじいちゃんおばあちゃんたちのやさしい応援の声だった。
「そのとき、私はようやく自分はこの人たちに育てられたんだ、おぶっぱん(お仏飯。仏様にお供えする食事)に育てられたんだ、ということに気づいたんです」