引っ込み思案を直すため児童劇団へ
柏木さんのファッションの原点を探ると子ども時代にさかのぼる。
1947年12月24日、クリスマスイブの日に東京都世田谷区で誕生した。父は印刷会社の社長で、3人姉妹の末っ子として、何不自由なく育つ。童謡を歌うのが大好きで合唱団に入っていたが、引っ込み思案な性格だったという。
「誰かに何か聞かれても、いつも恥ずかしそうにしているので、母や姉たちが代わりに答えてくれていました。そんな私を母が心配して児童劇団に入れたのです」
小学5年生のときに入団したのが劇団若草で、同じ時期に入団した仲間には女優の酒井和歌子さんがいる。酒井さんのほうが2歳下だが、当時から家族ぐるみで交流してきた。今でも仲良くしており、柏木さんのインスタにもたびたび登場している。
「柏木さんは小さいころからおしゃれでしたよ」と、酒井さんは当時の思い出を語る。
「小学生のときは、とても素敵なお洋服のおさがりをいただいたんです。柏木家3姉妹でおしゃれを競っていたのかもしれませんね。柏木さんは昔の洋服でも今風に着こなしているでしょ。洋服を捨てずに大事にとっておいて、その時代時代に合わせて着こなせるところがすごいなと思います」(酒井さん)
2人は劇団に入っていながらも、芝居でなく、ファッションショーや雑誌のモデルとしての共演が多かったという。
「しっかりしているけれど、おっとりしている性格は子どものころから変わっていません。ドジっ子なところもね(笑)。近所の顔見知りの学生と思って声をかけたら、その学生のお父様だったというエピソードをインスタグラムで見たときは大笑いしてしまいました」(酒井さん)
柏木さんは酒井さんとともにモデルの仕事をするうちに、ファッションへのこだわりが強くなっていく。
「明日学校に何を着ていこうかと考えるのが楽しくて、海外のファッション誌も熱心に見ていました。当時のお洋服は既製品が少なく、仕立ててもらう時代だったので、自分でイメージを伝えて作ってもらったり。好きなお洋服に袖を通すときにワクワクする気持ちは今も昔も変わっていません」
坂本九さんに見染められて交際1年で結婚
高校2年生のときに知人から「映画に出ないか」と誘われ、俳優としても歩みだす。当時のトップスター・三田明さんの恋人役として『明日の夢があふれてる』(1964年)で映画デビューを果たした。
ちょうどそのころ、のちの夫となる坂本さんとの運命的なエピソードがある。
「私が銀座で母の手を引いて歩いているところを主人が車の中から見ていたそうです。そのとき、隣に乗っていた俳優さんに『ああいう娘を嫁にもらいたい』と話すと、『あれは女優の柏木由紀子だよ』と教えられたんですって。主人が私の存在を知ったのはこのときです」
当時、坂本さんは23歳の歌手で、『上を向いて歩こう』がアメリカで大ヒット。“世界の坂本九”として名をはせていた。
その5年後、ドラマの撮影現場で坂本さんと柏木さんは正式に出会う。「九ちゃんはユッコちゃんのこと好きらしいよ」とあおられ、スタッフから坂本さんを紹介された。
「相手は大スターですし、そんなふうに言われて悪い気はしませんでした。でも、主人は私に自分の電話番号を渡して、私の電話番号は聞かないんです。私にかけさせるなんて……という思いがあり、結局、そのときは電話をしませんでした」
その後、坂本さんと会うこともなく1年が過ぎた。柏木さんが仕事で母親と一緒に大阪に行ったときのことだ。梅田コマ劇場の前を通りかかると、坂本さんがワンマンショーをやっていた。柏木さんの母は坂本さんの大ファンだったので、母のためにも「楽屋挨拶をしよう」と思いたったという。
「坂本は突然の私の来訪にビックリしていましたが、また、前と同じように電話番号をくれました。『女の子にはいつもこうして番号を渡しているのかしら?』といい感じはしなかったのですが、そのあと見たステージがあまりにも素晴らしくて。私のほうをじっと見て歌う姿に、恋してしまったのだと思います」