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92歳の現在まで、60年にわたって看護師として勤め続け、現在は看護大学の名誉教授として後進の育成にも力を注いでいる川嶋みどりさん。
戦時中「学べなかった」悔しさから看護の道へ
川嶋さんは幼少期を韓国の京城(現在のソウル)で過ごした。6歳のときに日中戦争が始まり、父の転勤で韓国と中国各地を転々とし、小・中学校は9回も転校を繰り返した。終戦を迎えたのは14歳のとき。一家は父の故郷・島根県へと移り住んだ。
「戦時中は学徒動員もあり、勉強もままならず、学ぶことに飢えていたんです。幸いなことに日本には家族全員で戻ってこられましたが、生活は苦しく、両親に進学したいと言えなかった。
そんなとき、学費もほとんどかからず資格が取れると聞いて、日本赤十字女子専門学校(現・日本赤十字看護大学)の門をくぐりました。実は看護師の仕事の知識もほとんどありませんでした」(以下、川嶋さん)
学校の寮に住み、筆記用具に事欠く厳しい環境のなか、無我夢中で勉強を続けた。
「子どもが大好きだったので、実習で行った小児病棟の実習が楽しくて。それで小児科を希望したんです」
卒業後は日本赤十字社中央病院(現・日本赤十字社医療センター)で働き始める。