落ち込みにはまったことも

 華々しい活躍が続く中、40代半ばになったころ、サチコさんの気持ちに変化が表れ、新しい方向を模索するようになった。

 人工的な薬剤を使うことに疑問を感じ、自然志向の材料を使ったナチュラルビューティーサロンを新たにオープン。評判にはなったが、時代が早すぎたのか、うまくいかなかった。そのほか、企画やデザインなどのジャンルにも挑戦していたが─。

50代に入ってから、1年間ぐらい、うつ病みたいになりそうになったこともあるんです。自分で落ち込みにはまっていくのよね。離婚して以降、私はずっとノッてる状態だったんです。それが母や諸先輩方を見ていて“年をとっていく不安感”でいっぱいになって。しょうがないからお酒を飲む。飲んで眠るんだけど、すぐ起きて、ますますどうにもなんなくなっていく。仕事は普通にしてましたけど、ひとりになったときには精神的にめちゃくちゃな状態が1年ぐらい続いたかな」

 もともと身体も弱かったサチコさんは、自分に何か課さないと乗り切れないんじゃないかと感じ、40代から水泳を始め、以来40年間続けている。自分を大切にしようと、心身ともにメンテナンスを心がけるようになったという。

「健康じゃないと美しくなれない」と週1回の水泳は欠かさず、散歩やヨガも楽しむ。3年前から小唄もたしなむ
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「いろいろやってみましたけど、最後は気持ちのありようを変えるしかない、重く考えないほうがいい、と自分で抜け出したんです。ああ、あの1年はもったいなかったなぁ」

 その時期、年老いた実母の介護をするため、大転換を決意。56歳のときにそれまで経営してきた大きなサロンをたたみ、ひとりで一般のお客さんに対応する今のサロンに形態を変えた。

「40代から器や着物のデザインも始めてデザイン事務所も設立した。それも楽しかったけど、才能ないってことがわかってスパーンとやめた。だったら、自分が今までやってきた美容の仕事でもう1回、勝負しようと思ったのよ」

 ところが、トップモデルやタレント相手のアーティスティックな仕事がほとんどだったサチコさんにとって、一般客にかかりきりになるのは、初めての経験だった。

「正直言って、普通の女性のわがままさにびっくりでした(笑)。私は主婦じゃないから、普通の女性の感覚がわからないのね。きれいに仕上げたってタレントさんみたいにオーラ出してくれないしさ(笑)。私には一般客は向いてない、やめようと何度思ったことか」

 それでも仕事を続けながら、母が86歳で亡くなるまでそばにいた。

「私は世の中でいちばん怖い人が母っていうぐらい、厳しい人だったんですよ。まぁ、母はお手伝いさんを雇えたので、全面的に私が看たわけじゃないし、仕事をしつつ自分がつぶれない範囲での介護でしたけど。夜やお休みの日も外出できなくて、欲求不満になりながらではあったわね。でも母と約束したから、最期までそばにいました。おかげで老いというものを学ばせてもらったと思う。厳しく育ててもらったから私は今仕事ができてると、感謝しています」