おせっかいな母、小姑みたいな娘
母が亡くなった後、娘のちがやさんがそばに住み、母娘一緒にサロンに立つようになった。
「娘さんはどんな存在?」という問いに、サチコさんからはひと言「小姑」と返ってきた。ファッションから生活まで口うるさく言ってくれる唯一の存在らしい。対して、ちがやさんにとってのお母さんは「仕事ではおせっかいおばさん。普段はコギャルみたい」という答え。
サチコさんに母としての人生を振り返ってもらうと、
「離婚をしたことも含めて、申し訳ないと思うぐらい、完全なる子育てはできなかったと思います。小学2年生から中学までは寮のある学校に入れてたし。周りの方に育てていただいたようなものですね」
と少し神妙な顔をした。
一方、ちがやさんは、「寮生活はつらかったけど」と文句を言いながらも、「母は自由に泳がせておかないと死んじゃうタイプなので、自由でいてもらわないとしょうがない」と笑う。小さいころの思い出を聞くと、楽しいものが多かった。
「寮の先生に挨拶をしに、母は気まぐれに来ちゃうんですけど。羽田空港からポルシェに乗って、ロングコートにニーハイのストレッチブーツなんていうとんでもない格好でやってくる。寮の玄関で、すごく怖い先生が見つめるなか、ブーツがなかなか脱げなかった姿はおかしかったですね(笑)」
ちがやさんは結婚して母のもとを離れ、ふたりの息子を育てながら、インテリアの仕事をしていたが、30代のときに母と同じ美容の道を選んだ。
「一緒に仕事をするようになってからも、母は何も教えてくれないんです。自分で見つけろ、自分で考えろ、という姿勢。ただ、私は小さいころから、ショーの会場や舞台の仕事にも連れて行かれてたし。学校の制服もオートクチュールの先生に作ってもらって、上等のものをひとり着せられたりしていたから(笑)。今考えると貴重な体験をたくさんさせてもらってきたので、それが今自分の引き出しになっていますね」
浮き沈みの激しい世界で闘う母も、家族問題を背負う母も、ちがやさんは間近で見てきた。
「介護した祖母が亡くなったときは、さすがに母もかなり精神的にきていたかもしれません。祖母と母はそっくりで、ケンカばっかりしてるふたりだったんですけどね。元気がなくなってちょっと様子が変という時期がありました。ただ、あの方は切り替えがうまいんですよ。ひとりの時間を有意義に楽しむことができるんですね。急にふらっといなくなったと思ったら、“逗子のカフェでお茶飲んでる”なんてこともあって。すぐ立ち直るんです。優しくして損したって思うぐらい(笑)」
ちがやさんが落ち込んでいるときは、「くよくよしてもしょうがないでしょ!」と、背中をガツンと押して、力をくれるそうだ。
「母は人が何より好きなんだと思います。口が悪いけど、本当は“そこまでやるの?”っていうぐらい、人のために動いて、あますことなく与えちゃう。そこは本当に尊敬しますね」