その数日後、大沢さんは仁幸さんがネットに書いていたブログを見つけた。そこにはこんな文章があった。
「僕は死にたくてたまらないのに生きていて、妻は死にたくないのに死ぬかもしれない病気になってしまった」
乳がんの治療を乗り越えて
大沢さんは、やるべきことを片づけるかのように淡々と乳がんの治療を進めた。
手術では全摘ではなく乳房温存手術。周囲も含めて7cmほどをくり抜き、周囲の脂肪を寄せて形を整える。実際のステージはIIAで、腫瘍は大きいところで3・5cm。リンパ節転移はない。
大沢さんから乳がんだと報告を受けたときのことを、姉の由佳理さん(55)はよく覚えている。
「私、乳がんなんだ。でも、医療従事者だから対応方法もわかっているし大丈夫よと、あっけらかんとしていました。入院中もとても冷静だった。でも本当は落ち込んでいたんじゃないかな」
大沢さんは当時、ネットで検索していろいろな人のブログを読んでは、「この人も死んじゃったのか」と落ち込んだという。
「医療従事者であっても、ネット検索するとどんどん悪いほうに考えてしまいます。著名人のケースは過剰に報道され、専門家といわれる人が会ったこともないのにその人の病気の解説をする。同じ病名でも、症状も経過も過ごす環境も人によって千差万別です。できるだけネット検索をしたり、ワイドショーなどを見続けたりしないように患者さんには伝えています」と大沢さんは語気を強める。
手術後は、放射線治療とホルモン療法、そして抗がん剤治療を提案された。家計を支えるためにも仕事はできるだけ休みたくない。生活を変えないことを第一に考え、放射線治療とホルモン療法の2つを選んだ。
「17年前、当時はまだ抗がん剤の副作用を抑える治療が進んでいなかったので、抗がん剤の副作用を避けました。最近は副作用をかなり抑えられるようになりましたね」
大沢さんは、出勤すると仕事前に放射線治療を受け、通常どおり働いた。エストロゲンの分泌を抑えるホルモン剤の注射が始まると、副作用で更年期障害のような症状に悩まされた。
職場では、「大沢さん、がんらしいよ」という噂話も聞こえてきた。会議中にも汗が噴き出し、同僚から「ホットフラッシュ?」と声をかけられる。最初は「ストレートだなぁ」と戸惑ったが、開き直ってオープンにした。すると、ずいぶん気楽になった。
それでも、患者会や患者サロンを探し、同じ悩みを持つ人たちとの交流を求めた。ある患者会に1人の患者として参加したときには、ホルモン療法の副作用のつらさについて、一気に話した。安心して自分の思いをすべて話せたのは初めてだった。医療関係者という立場では同僚に話せないこともあることに改めて気がついた。