ひとつの出会いがきっかけで劣等生から総代へ
本郷高校は、水泳の北島康介やEXILE ATSUSHI、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者・秋本治、現代美術家の村上隆たちを輩出。生徒の個性を伸ばすことで知られている。
個性的なのは生徒ばかりではない。教師もまた個性派ぞろい。北原のクラスの担任になった沢辺利夫先生は日本代表にも選ばれたラガーマン。気力あふれる熱血漢である。
入学早々テストがあり、北原は三択問題とはいえ偶然にも60点を取る。すると熱血教師は、
「北原、おまえやればできるじゃないか。すごいな!!」
まるで自分のことのように喜んでくれた。中学まで北原と向き合う先生など誰もいなかった。だから、なおさら沢辺先生の熱い言葉が刺さった。
そのひと言が励みになり、次のテストでも結果を残す。
「おまえは頭が悪いんじゃない。ただやらなかっただけなんだ。やればもっとできるよ」
そう言われ、北原は夢中で勉強に打ち込んだ。
「沢辺先生は僕の中学の成績や内申書が最悪の評価だったことも承知の上で、やればできると心から励ましてくれた。それがどれだけうれしかったか。
でもこれまで勉強してこなかったから、基礎学力がまるで身についていない。そこでただひたすら教科書を丸暗記する。がむしゃらな勉強法で知識を身につけていきました」
しかしこの愚直なまでの“丸暗記”がやがて花開き、高校3年のときには、学年トップに躍り出る。卒業式では総代を務め、謝辞を読むまでになっていた。
「ペケからトップへ。自己流だけどやればできることを証明してみせた。このときの成功体験が今に至るまで、僕の自信の源になりました」
のちに北原は「横浜教師塾」の塾長を2年間務めた。
「子どもたちは何げないひと言で傷つく。成績が良かった先生たちには、勉強のできなかった子どもたちの気持ちがわからない。僕は両方の気持ちがわかる。先生を教える塾の塾長は、適任でした」
“人生最大の恩師”との出会いで、すっかり学ぶことが楽しくなった北原は、1浪の末に青山学院大学に入学。そのころには、コンプレックスの塊だった自分はもういなかった。